テレビについて

2008年12月12日 (金)

雑談 コールアンドレスポンス

以前書いた記事への返答
http://stupid-tv.cocolog-nifty.com/blog/2008/11/h-6398.html

テレビというのは知的な道具ではなく、自分を知的だと思っている人間が大声で話すための場所というだけであるのが現状で、そのくせ未だに影響力だけはしぶとく持ってるもんだから大勢が迷惑している。
テレビを使う人間は、テレビを知的な道具にしようとする気も、テレビの前に座っている知性を育てようなんて気もないんじゃないだろうか。
よりよい生活を送りたいならテレビなんか捨てるのが一番いい選択のように思える。
テレビは大事なこと程伝えようとしない。やろうとしないから。

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2008年11月 9日 (日)

ドキュメンタリー

吉田直哉続き。立花隆との対談。



立花「吉田さんがお作りになった番組で日本のやくざを取り上げたものがありましたね。
僕がびっくりしたのは賭場で札束が飛び交う場面なんですね。」

吉田「あれこそ了解の上です。警視庁もですね、金が本物でなければいいと。
ばくち打ちたちも、本物でやったら俺達パクられるからと。金は実際にはやりとりしなくて、
俺たちの金じゃなく小道具としての金だったらいいと。それでNHKから持っていった。」

立花「そうですか。いくらくらい?」

吉田「40万です。小道具ならいいということで夢中になって集めて。嘘だなんていう
"ごっこ"だなんていうのは忘れちゃって夢中になって。
それで終わって回収したら20万もないんですよ。18万くらい。
それじゃクビになりますから必死になって"返してください"と。
"俺たちを泥棒扱いするのか"と言われたけど、親分の一人が可哀想だと思ったらしくて
"金って変なところに入ってるねー"とか言って懐から金を出して。
"座布団の下にも入ってた"とか言って。それで戻ったんです。」

立花「それは今で言う"やらせ"そのものですよね。」

吉田「ええ、各方面全部了解済みっていうか。」

立花「今だったら"これは再現です"とか断りもなしにあの場面を放り込んだドキュメンタリーは放送できると思いますか?」

吉田「そうですね、今だったら"またやらせ"とかですね。"30何年前からやらせ"とかですね、また一面トップになりそう。だけど、それは僕は情けないと思うんですね。
あの頃はそれはそれで楽しむ文化があったんですよ。あえて文化と言いますけれども。
実写として。それで"どうやって撮ったんだろう"なんてのは枝葉末節でしてね、
ちゃんとテーマを汲み取ってくれるっていうか。」

立花「僕はね、あの当時の視聴者でそういう分かり方をするのはほんの一部でね、
大部分の人は"NHK凄い事やったんだ"って、ああいう本当にその場に入っていって、
裏の了解なんてあるとは思いもしないで、そのままに受け取った。
そういう人達が大部分だったんじゃないでしょうか。」

吉田「…そう…言えばですね、ドキュメンタリーのそもそもの歴史が全部それなんですね。
70年前にフラハティが実写映画からドキュメンタリー映画といわれる"極北の怪異"
エスキモーの生活ですね、それからアラン島の人々の生活とかやりだしたときに、
既に再現というか、今の言葉で言うとやらせ、そういう部分の再現を皆やってるわけで。
その時に「いけない」って大合唱があったら、このジャンル壊れてたわけですね。」

吉田「欧米と日本のドキュメンタリーの違いというのは、向こうの方は限りなく
フィクション、ドラマの方に近いんですけど、こっちは非常に、どんどん小さくされていく、
僕はその危険をですね、もっとルーズにして"作品がよければいいじゃないか"ってメッセージが…メッセージもないものを弁護してるんじゃないんです。
メディアの表現手段はもっと多様性があっていいじゃないかっていう。
僕にとってドキュメンタリーとは何かっていったら"全部現場にいました"っていう誇りですね。唯一誇れるのが。それで、表現に誇張があろうが控えめ過ぎようが、全て僕が現場で判断したっていう。」




今野勉
「吉田さんは"どこまでがやらせなんですか"と聞かれることがあるらしいですが、そうするとですね「全部です」と答えるんです。頭にきてたんですね。
つまり"ありのままに撮る"とか"あるがままに人間がカメラの前で行動する事はありえない"と。だけどそれは嘘とは違うだろと。そういう事を言いたいためにですね
"全部やらせです"とわざと答えるんだと。そこに吉田さんのドキュメンタリーへの許容度が
かなりあって、それで、日本が多少不幸だったのはですね、吉田さんも言ってましたが、
ヨーロッパでは再現というのは(?ストラクション①)と言って、それも"ドキュメンタリーである"と実写もそうですけど、事実に忠実に再現すればそれは(①)であると、みんなで集まって定義をしたんですよ。それが日本にちゃんと伝わってこなかった。
まあヨーロッパがそうするから日本もそうするという必要もないんですけど、なんか非常に日本は生真面目にですね、ドキュメンタリーを考えすぎて。
それが吉田さんにしてみれば非常に面白くないと。
もう少し自由で、何を伝えるか、何が伝わったか。それが真実かどうかをまず
考えなくてはいけないということをずっと言ってきたわけですね
。」

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ドキュメンタリー②

今野勉
「(吉田さんは)27歳の時にですね"記録映画との決別状"っていう論文を書いてるんですよ。それはですね、それまでの記録映画というのは製作者が言いたいことを正当化するために事実をそれにあわせて使ってて、それを押し付けたと。
で、我々テレビドキュメンタリーはそれから決別する。
まず事実ありきだと
その事実がどういうことか、色々隠さないで、事実に沿って取材していく。
それは、まず何かの仮説を立てて、その仮説に沿って事実を記録していくんだと。
もしかしたら結論は出ないかもしれない、それはそれで放送するんだというのも一方で言ってるんですよ。事実そのものを大事にすると同時に、表現の方法として、再現なんかも認めるという、かなり幅のある、原則があって応用するというのを、20代の内から宣言してやってたというのは、我々の先輩としては非常にありがたい事だったですね。」




吉田直哉「TOKYO」撮影時のエピソード。
東京に生きる孤独な女性の姿を追う。彼女は母親を探している。
放送後、母親が現れる。が、母親は彼女の金を持ち逃げして姿を消してしまう。
「私は彼女の実人生と目を借りて、その心象風景として東京を描いた。
その華美な部分は弾んだ気分のときに見た風景として描き、
汚れくすんだ部分は沈んだ気分の時に見た風景として描いて
東京の多面性を海外向けに描いたものとしては知能犯的な手法をとったつもりだった。
しかし、彼女は前よりもずっと不幸になってしまった。
私は無罪であろうか。とても無罪とは思えなかった。」




今野勉
「ドキュメンタリーというのは生きている人を映しますから、映したことでその人の人生が変わってしまうかもしれない、そのことを意識しながら常に本当に生きている人を撮影しなければならない。心あるドキュメンタリストは(そういう意識を)皆持っていると思いますよ。」





今はどうか分からないけど昔はこういう風にドキュメンタリーを捉えて製作していた人もいたっていうことだ。
しかし今も昔も、製作者側と視聴者側の意識に隔たりがある気はするし(演出かやらせか)
ドキュメンタリーって何かということがどんどん曖昧になっている気がする。
カメラが一人でに目の前にあるものを勝手に撮るなんてのはありえない。
撮っている人間撮られる人間がいるっていうことを理解しないといけないらしい。
ドキュメンタリーもあくまで「事実を基にした作品」と割り切ってみる事が必要なのか。




「考えるカメラであれ、考えるカメラであれば、考える道具であるテレビになりうる。」

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2008年11月 3日 (月)

11/3

吉田直哉
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E7%94%B0%E7%9B%B4%E5%93%89

(平成6年の言葉)
「私は37年現場におりましたけれども、色々作り続けるバネになったものは何かと言いますと、大宅壮一さんの「一億総白痴化」という言葉への反発だったと思います。
テレビというものを全方位的に、いかに大変な役割を将来担うかということを想像出来ないで、一つの現象で、何か気の効いた事を評論家が言ったというその反発であります。
それで「今に見てろ、テレビでどんなに幅の広い、奥行きのある、高級な表現ができるか思い知らせてやる」という思いがありました。
それが私のバネでモチベーションだったと思います。
しかし今考えてみますと、もしかすると大宅さんが言った事は本当だったんじゃないかと、一億総白痴化というのは当たってたんじゃないかと、まあ、ほんの一部の番組を見て思うんであります。それはつまり、このテレビという素晴らしい人類の、太古からの夢の装置をですね、まだ上手くつかいこなしていないという思いが少しあるからだと思います。
この夢の装置を使いこなす(方法を)、道具としては立派に使っていると思うので、ここでもういっぺん考えてみたいと思います。テレビの最大のメリットは、消せば真っ白の処女地になるって所でですね、新しく素晴らしいものが描かれるのを待ってるという所だと思うんですよ。ですから、その新しい知性がやってくれる、その時に(までに?)は私共も、なんとか志を高く持って、決して諦めずにテレビをつくり続けていくことなんじゃないかと私は思っております。」




テレビに可能性を見出し、そこで何が出来るのかを追い続けた人が、テレビが「一億総白痴化」の原因になっているかもしれないと感じてしまう事は、足元が揺らいでしまうようなショックだったんじゃないだろうか。
大宅壮一も一部を見ただけじゃなく、将来どんな影響が出るか見越して一億総白痴なんて事を言ったんじゃないかとも思ってしまうけど実際どうだかは分からない。
私はテレビを高級・高尚なものだと思った事はない。
物心ついたときから家にテレビがあるのが普通だったせいなのか、テレビの黎明期を見ていないからか。
テレビは娯楽だと思っている。ただ、それでも、だんだん見たいと思う番組が減ってきた
ということは、単に自分がテレビに飽きたって事だけじゃないらしい。
志を高く持ち、諦めずに番組を作ろうとしている人がどれくらいいるんだろうか。
製作側はバカ相手に仕方なく妥協して番組作ってるつもりなのかもしれないが、そうだとしたらバカがバカ相手に商売しているってだけだ。テレビは金集めの道具以外の何者でもない。金以外生み出せない。もはや娯楽とも呼べない。ノーフューチャーなテレビ。
文化の日にこの言葉を流したNHK。そこには自分達への戒めもあるんだと思いたい。

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2008年9月 2日 (火)

雑談

んもーニュース?情報番組?ワイドショー?見てて頭が痛くなってきた。
案の定どこも一番の話題は首相辞任なんだけど、あの報道の仕方は何なんだ。
「なんでこんなタイミングで辞めたんでしょうねえ。何がしたかったんでしょうねー。」
じゃないっつーの。マスコミこそ何がしたいんだよと言いたくなるわ。
露骨な扇動、もう洗脳と言ってもいいレベル。
誰の意思で動いてるんだマスコミは。
あんなのをまともに受け取ってしまう人とかいるの?
もう何を信じたらいいんだよ。
国民はもう政治家どころかマスコミの奴隷。怖すぎるわ。まさに白痴製造マシン。
私もこう恐ろしく思ってても結局何も知らないんだろうか…。


極端な言い方だけど街頭インタビューなんて映画の宣伝で観客に「感動しました!」って言わせてんのと同じに見える。


一番苛立ちを通り越して笑ったのが、福田氏の「せいぜい頑張って」発言を未だに叩いてるっていう。
正直自分も福田氏が言わなかったら嫌味な意味だと勘違いしたままだったろうな。
福田氏は国民を買いかぶりすぎたんじゃないの?
あの人の芸風なんだろうけどどうも発言が誤解されやすいっていうか真意が伝わりにくい言い方するし。媚中とか一部じゃ言われてるけど「どこが?」と思う。
むしろ微妙にかわしてた印象がある。騙されてるのかもしれないけど。
自分の役目は中継ぎだって分かってたっぽいけど、でも悔しいだろうなああれは。
なんか同情的な書き方になったけど、報道があまりにもアレだから。



民主っていうか小沢政権とか勘弁して。
別に自民支持でもないけど小沢は…。

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2008年7月 3日 (木)

雑談 騙し合い

ttp://axn.co.jp/csi/etc2.html

ここのページのコラムを読んで、いくつか思うところがあったので書く。


まず2段落目の「全米を驚愕~」の"マイナス効果"は、もしこっちで似たようなことがあれば、そのドラマは打ち切りか、欠番になるか、謝罪文が出るか、というような事になるんだろうな。今なら。


そしてその次の段落「メイキング~」の最後の部分で、非常に大切な事に触れているので、その部分を抜き出す。
「僕らは視聴者をバカのように扱わない。僕らは彼らに"君たちは超知的で、
すべてのディテールを理解できる"といい、そして彼らは実際にそうしてくれているんだよ」


今の日本のテレビに大きく欠けているのがこれじゃないだろうか。
知的に扱えというか、視聴者を信頼していない気がする。

「ムリだ」と決め付け、臭そうなものに蓋をし続けた分だけ視聴者はアホになる。
表現は狭まり、奥行きもなくなる。出来るはずのことが出来なくなる。
作り手がハードルを上げるつもりでやらなければ、発する側にも受ける側にも良くない。
視聴者への不信は制作側のジレンマになり悪循環になるだけ。

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2008年6月 3日 (火)

雑談

日本のドラマは海外ドラマに比べてつまらない、という声をたまに見かける。
でもこれは単純に比較できるような事でもない。
米のドラマと比べても、かける金が違う、かける時間が違う…色々違うだろうし。
こっちでは1期大体11,12話だが向こうは20数話やるのが普通。
人気が出ればフツーに何シーズンかやるのに、こっちじゃ何シーズンもやるのなんてトリックとかテレ朝の刑事ドラマとか渡る世間くらいじゃないのか。
あの踊る~だって連ドラは1期だけであとはTVSPと劇場版。
踊るみたいなやつこそ連ドラでやりゃいいのにと思う。劇場版ばっかりやってないで。



でも、何シーズンもやらないのはいい部分でもあると思う。
尻すぼみになったり打ち切りになってげんなりする事も減る。
すっぱり終わるのが前提になってるのはいい。



比べられる部分があるとするなら、選択肢の多さ。
向こうはラブコメ、ロマンス、SF、アクション、クライム、サスペンス、、よりどりみどり(?)だけどこっちはちょっとそれが弱い。特にSF、アクションもの(※)
ていうかこれは自分が好きなんだけど。
あと向こうのはきれいだよね、映像が。



昔のドラマを見て育った世代が、今度は海外ドラマにそれを求めてるっていうのも
あるのかもしれない。
昔でも海外ドラマはやってたけど、日本のドラマはちぢこまってくばかり。
ドラマはもっと「こんな事もできます」っていう可能性をもっと示して欲しい。
話にちょっと難があったとしても、そういう姿勢が見えるものを自分は歓迎したい。
偉そうないい方だけど。
そういう意味で今一番切り込む姿勢が見えるのはフジ。あと地味にテレ東。
テレ朝は安定しててたまに爆発する。
NHKは手堅い。イメージ通り。むしろ冒険しない方がいい。
日テレとTBSはよく分からない。



大胆なことが出来る人が必要だよね。
いるのかもしれないけど出来ないっていう現状があるっていうのが近いのかもしれないけど。
昔のテレビは面白かったっていう声は、決して懐古補正だけじゃないと思う。
昔に比べたら技術なんかは進歩したのかもしれないけど、なんだかパワーがないもんね。






※SFは、こっちでも昔は土9枠でやってたのとか、MMR(!?)とか、
年がバレそうだけど、十分SFって呼べるものをやってたのに。
そういや漂流教室なんてのもあった。
もし今また「SF」を作ろうとしても、ファンタジーとか特撮のカテゴリに入れられてしまうような気がする。それは決して間違いではないんだけど…



どうもこういうものは「一般ウケしない」ということにされてしまう。
SFがイマイチ浸透しないのはそのせいか。
ロストとかヒーローズが日本でもウケてるんならチャレンジする価値十分だと思うけど。
ウケてるんならの話。
原作つきドラマばっかりやるんならSFやればいいのに。
もうあとは世にも奇妙な物語に賭けるしかない(?)




アクションにしても、海ドラは銃撃戦バンバンやってもフツーに見れるけど、
こっちで今それをやっても「リアリティがない」とか言われるだろうからやらない。
スパイモノだってこっちにはCIAとかそういう組織がないからやりようがない。
昔は時代劇でもスパイモノをやってたっていうのに。
時代劇だから出来たんだと思うけど。
アクションとかは開き直ってバンバンやりゃいいのになあ。
でもヘタにカッコつけようとするととんでもなくムカつく作品になる。
それから爆破、爆発をCGでやられるととってもガッカリする。
金がかかるし規制もあるんだろうけど、それならCGってわかんないようにやって!
と無理なお願いをしてみる。

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2008年5月 9日 (金)

雑談 TVって?

テレビ離れとか若者がテレビを見ないとか言われてるようだけど、
これってどうしようもないよね。
今のテレビって、もう数ある娯楽の中のひとつであって、
決して国民全員がありがたがって見るものじゃない。
録画機器とか、ソフトがろくになかった時代とは違う。
テレビしかない人はテレビ見るだろうし、それより優先させたいものが
ある人はそっちに行く。状況が変わった。

だからこそ、たまに「あ、○○が始まるからテレビつけよう」
って思えるような番組に当たると嬉しい。
いつどこでも見れるような中でも、その時間が来ると
テレビがつけたくなるような番組。
昔からテレビを支えていたものはこういう気持ちのはず。
発する方も受ける方も。

確かに私も子供の頃に比べたら、今はテレビを見る時間は断然減った。
見たいと思う番組の趣味はあまり変わってないと思う。
ただバラエティは見なくなった。
それが何を意味するかっていうのはハッキリ言いづらい。
面白くないから!って言うのは簡単なんだけど、そう断言するのはどうも…。

若い人に見て欲しいとか、若者がテレビを見ないって言ってしまうのは、
ある意味テレビ側の傲慢といっちゃあ言い過ぎかもしれないけど、
そうも思える。
若者がテレビを見たらどうなるの?
そのために番組作ったらいいものが作れるの?
若者はテレビ見て当然なの?
テレビはもう数ある選択肢の中のひとつになってしまったっていうのを
理解しないといけない。

テレビは、昔の映画と同じ道を辿っているのかもしれない。皮肉にも。
…テレビは映画と心中したがっているフシもあるけど。

テレビを見るとバカになる、というのは実感としてよく分かる。
事実を映さず余計な事ばかりするニュース、
どこに媚売ってるのか分からない番組、
タレントのプロモーションだけしてる番組、
同じことばかりやってる番組、そしてそのコピー。
小細工ばかりしてても、もう大低の視聴者は見抜いている。
発信する側が、そこに気づいていないのか、妥協しているのかは分からない。
雑なものをありがたがって見るのはテレビに多くを求めていない人だけ。
そしてそれが今のテレビを支えているとしたら。

テレビというものが、昔のように可能性や希望を見出せる場所だとは
今は思えない。テレビが幸せだった時代はとっくに終わってる。

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雑談

書き過ぎ。



最近気になる素朴な疑問を検証する。
自分は毎週テレビジョンを買っているのだが、
なんだかとってもJの付くとこの人達の表紙が多い気がする。
一応去年の10月末から今までのものが手元にあるので数えてみる。
その結果↓


080508_230201
Jではない人が表紙 4
そのクールのドラマに出演しているJ
またはJとその共演者たち混合    17
ドラマ出てないけどJ 5

このような結果になった。
もっと最後のドラマ出てないけど組が多いのかと予想していた。
まあドラマ出てないと言っても深夜で番組やってたりするし。でも表紙。
若干の数え違い(とにかく顔が覚えられない)
はあるかもしれないけど大体このくらいだ。
…連載もあるからよく目に付いたのかもしれない。

こうして見るとやっぱJって凄いんだなあと感じる。
どうしてこう目立つんだろうか。
それとも私が変なフィルターでもかけて見ているのか。

別にこれだけが理由じゃないけど、
別にテレビジョンじゃなくてもいいかなあとぼんやり思う。
が、実際かーなーりー長い間毎週買い続けてたので
今更他の雑誌にすんのもなあともぼんやり思う。
でも乗り換えても違和感を感じるのは最初だけで慣れれば全然問題ないはずだ。
別にどこに乗り換えたっていいんだが、ブ×スはどうも好きじゃない。

しかし、何故自分はテレビ誌を買っているのだろう。
番組表ならTVでだって今は確認出来るし、ネットもある。
記事だって大抵さらっと読むだけだ。
そもそも何故数ある雑誌の中でテレビジョンを選んだのだろう。
その理由は覚えている。確か中学生の時、ナイナイが表紙だったからなんとなく買って
そのままダラダラ買い続けているのだ。
うーん、
読む理由があるとすれば、見てないドラマとか番組のあらすじが読めることくらいだろうか。

どうするべきだろうなあ。
一度本屋でどのテレビ誌がいいか物色するか…
それとも買うのやめようか。

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2008年4月26日 (土)

雑談

http://news.nifty.com/cs/domestic/societydetail/mainichi-2008042600e026/1.htm

「誰のために 何のために」か。まったくその通りよく分からなかった。
沿道からはほとんどランナーの姿は見えないし、
一体何を運んだんだろう。

夕方のニュースを見たけど「中国人とチベット支持派の小競り合い」
というナレーションとともに、コワモテのどう見てもその筋っていうか
右翼の人が怒鳴ってる映像が流れた。
右翼っていうのは街宣車で親中派の政治家どうのこうの!っていうのを
伝えて歩いてる人でしょ。それが「チベット支持派」になるの?
すくなくともあのニュース映像だとそう伝えたいように思えたんだけど。
いやそれでもいいんだけど、右翼以外にも映すべき事はなかったの?
チベット支持派っていうのも腑に落ちるんだか落ちないんだか
よく分からない言い方だ。
こういう報道を見ると、自分が今見ているものがどういう意味を
持つものなのか分からず不安になる。
マスコミがかけたフィルターなのか自分がかけたフィルターなのか。
こうして事実から遠のく。

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